この新型コロナウイルスはどこから来たものなのか。
中国武漢で発症、コウモリの持つコロナウイルスがヒトに感染したものだと言われています。
同じコロナウイルスである、MERSはヒトコブラクダ、SARSの感染源はハクビシンとされていますが、どちらのウイルスも常時保有しているのはコウモリです。
コウモリは鳥のようですが、哺乳類です。
哺乳類の中でネズミの次に種類の多い生き物であるコウモリの保有しているウイルスが、ヒトの体内に何らかの形で侵入してしまうことは避けられないことかもしれません。
日本でも夕方になると、コウモリが飛んでいるのをよく見かけます。
あのコウモリもウイルスや菌を保有していると考えられますので、あまり喜んで観察するべきではないでしょう。
ちなみに、日本に多いとされるアブラコウモリの駆除専門会社のサイトの動画です(閲覧注意!)。
コウモリには多くのダニが寄生していて、糞にはカビの菌が多く、乾燥した糞を吸い込めば、呼吸器疾患にもなります。
住宅街にもわりと多く見かけるコウモリですが、あらゆる危険が潜んでいるようですから、今後は注意をしていきたいところです。
もっとも、コウモリ保有のコロナウイルスについては、ヒトが直接感染するわけではなく、他の野生動物を介しての感染ということが一般的な考え方のようです。
コウモリ→野生動物→ヒトという経路になります。
今回の新型コロナウイルスに似たウイルスが、センザンコウという絶滅危惧種の動物から検出されたと科学誌「ネイチャー」で発表がありました。
センザンコウは体がウロコで覆われている哺乳類で、肉は食用、ウロコは漢方薬として中国で取引されています。
このセンザンコウを介して、今回のコロナウイルスがヒトの体内に侵入したのかもしれません。
野生動物を珍重する中国が震源地とみられるこの騒動。
もうそろそろひとつの区切りがついてくるころだと思われます。
ワクチンの開発が待たれていますが、もうそろそろだ、いや1年先だと不確実な話ばかりですから、結局は世界中の人たちが感染を恐れながら、閉じこもるという形をとっています。
軽症者8割のこのウイルスにいつまで怯え続けることになるのか。
2割の重症例、死亡例をクローズアップさせて、どの国も自粛または強制的に行動に制限をかけています。
そんな中で、驚異的な国がありました。
北欧の国、スウェーデンです。
近隣国が閉鎖策をとっていく中、この国は独自の集団免疫獲得策に舵を切りました。
経済活動を止めないための政策であり、国民の自制心や権利を主張する傾向が国の独自策を指示しているようです。
もちろん、すべてが今まで通りではないようです。
高校や大学は閉鎖され、70歳以上の高齢者には自主隔離を呼びかけ、50人以上の会合には制限をかけています。
それでも首都ストックホルムのカフェやレストランは通常営業をしていて、その中を多くの人々が行き交っているその様子は、他の国から見ると羨ましく思えます。
この策にもちろん、ありえないと声を荒げる人々は国内外に非常に多く、その行く末を注視していたはずです。
そこにこんなニュースです。
この国の策は、暴力的だったとも言えます。
何も対策をしていないのと同じようなものですから、当然死亡率は他の国からすると高く、感染者も増え続けます。
国民の中にも支持する人ばかりではなく、実験をされていると感じる人もいたようです。
多くの科学者・識者たちも異論を唱えていました。
しかしその抗議に対して、政府は言い放ちます。
「あなた方学者の意見が一致するという経験を今までしたことがありますか?」と。
もちろん政府の背後にも学者がいますと付け加えられています。
そして無策というわけではない、禁止していないだけで自粛は呼びかけていると。
強気なこの国策は、その主張にブレがないこと、それを支持する国民にもブレがないことで成立しています。
それに加え、スウェーデンの医療は、ランスティングという地方自治体によって運営されていて、この感染症に限らず医療体制が整備されているというのが大きいかもしれません。
スウェーデンの集団免疫が獲得できるとしたら、 非常に明るいニュースですが、どの国にも通用するものではありません。
イギリスのジョンソン首相も、以前はこれを主張していましたが、断念しました。
我が国はどうでしょうか。
1月に初感染者が確認されてから3か月が経過しました。
オリンピック延期決定以前とそれ以降では明らかに政府の対応や感染者数は変わりました。
延期決定以前は、事実上の集団免疫獲得策ではないかと思わせる政策とも言えない政策、そして延期発表後の一気に過熱した自粛呼びかけ策。
事実がどこにあるのか、どこに国民を誘導しようとしているのか。
傍から見れば日本は、ブレない政府の反対側にある国だと思えてきます。
なぜこの状況なのか、なぜ怯えるのか、何を優先するのか。
これまでも「国民ひとりひとりが」というフレーズをよく耳にしてきましたが、今こそそのときで、国民ひとりひとりが考えるべきときなのです。
そして、感染症対策云々の前に、この国の立て直しは絶対的に必要だと思われます。
おそらく、ワクチンができない今、結局はどの国も緩やかな集団免疫獲得に向かっているのだと考えられます。
犠牲を払いながらも歴史をまわしていくことを恐れない国の策は、やはりあっぱれと賞賛したくなる人々も多くなってくるはずです。