今回は、東出昌大さんと杏さんという俳優さんご夫婦で、ご主人のほうが3年もの間、唐田えりかさんという若い女優さんと浮気をしていたというお話。
世間はもう大騒ぎですね。
私が見聞きしたかぎりでは、ほぼ大多数の意見が、
「杏さん、かわいそう・・」
「東出サイテー!」
「唐田、消えろ!」
の3文に集約される内容となっている気がします。
私自身も、これに異論はありません。
でも、ちょっと深堀りをしてみたいと考えました。
なぜなら私は、酸いも甘いも噛分けることのできる50代。
語れるだけの濃厚な時間を過ごしてきておりますので。
すべての男女がそうだという話ではなく、大方の人間はたぶんそうだという話をします。
あたし、違うから!と噛みつかないでください。
ほぼほぼということで。
惹かれあい、結婚をし、出産して、子育てをしながら家庭を築き、守り、やがて夫婦で老いていき、一生を終える。
これが、結婚前後の男と女の普通に歩くだろう道です。
この道には、大小のいろんなものが転がっていて、それらを夫婦で力を合わせて取り除いたりしながら前に進んでいく、これが理想の夫婦道。
でも、現実的にはなかなかこんなふうに「力を合わせて」の夫婦ばかりではありませんね。
大方、出産を機に男と女は変わります。
まずは女性ー
男には絶対できないものとして、子どもを身ごもる役割が女性にはあります。
よく考えるとすごいことです。
10か月もの間、自分のお腹に別の命が存在していて、最終的にこの世に送り出すことまでやり遂げるのが女性。
女性はそれが普通にできるような仕組みになっていて、新たな命が宿った途端、「母」に変わっていきます。
本人も気づかないうちに、心の中にも母への道がスタートするのです。
最終的には母乳だって出ちゃうくらいなんですから、子を産み育てることに心身ともに当たり前のように変わっていくんですね。
感じなかった自覚も、あとからあとから追いかけてきて、大概の女性はお腹が大きくなるころには、母の自覚はきちんと等身大となっていきます。
そうやって今まで大好きなご主人と仲良くやってきた時間とはちょっと違う別の時間が、女性には自然と刻まれるようになっていきます。
こう、考えてください。
今まではふたりだけの甘いスイートホームだった。
でも、子どもができたときから3人の新しいおうちを、母になる女性は無意識に築いているんです。
ここで3人の歴史をつくっていこうとする。
母になる女性はごく自然に新しいおうちに身も心もお引越しをしています。
そして、男性ー
これは女みたいなわけにはいかない。
どんなに大好きな奥さんであったとしても、彼女とまったく同じ歩調で父になるかといえばそれは絶対的に無理な話。
だって自分の体には何の異変もありませんから。
勝手に新しいおうちが作られちゃって、どんな人でも戸惑いを感じると思います。
心だけで父になるって、これもすごいこと。
女の私だって、もし自分が男で「はい、明日から父になってね」と言われたら、どうすればいいのかわからないんじゃないかなあ・・
それじゃあ、父になれる男となれない男には何の違いがあるのか。
その始まりは結婚のときだと私は思うんです。
その時に男はどんな決心をしたか。
「病めるときも健やかなるときも・・」と誓いを立てたあの時の、男のほうの決心と器。
これがひとつのポイント。
結婚するということは、男でなく、夫になるということ。
協力して家庭をつくると内外に宣言をするということ。
これをまずは自覚しているかどうかで、夫が父になれるかが決まります。
独身ではなくなるので、自由な時間も自由になるお金も当然減ります。
減った分はマイナスではなく、奥さんとともに楽しい時間に代えていこうというプラスな前向きな気持ち。
夫になるにはこれが必要なんですね。
要は心機一転、新しい仕事に取り組むのと一緒。
その心意気がなく、なんとなく夫になっちゃった人が今回の主人公であると私は感じています。
なんとなく夫になっちゃった人は、どうしても家庭を一番に考えられなくなります。
事あるごとに、自分を犠牲にしたという気持ちが付きまといます。
夫になれない男は、父にもなれず、いずれどこかでそれを形にする時が来ます。
それが浮気であったり、他の遊びであったり、言葉の暴力になったり。
そこで奥さん側もはじめて狼狽えます。
この人は父ではなかったの・・?
いやいやその前に!
男が完全に夫になっていなかったということに、気づかなくてはならないんです。
妻を大事にする人は、父としても成功します。
妻を思いやる父は、子どもからも慕われます。
子どもはママが大好きで、ママを大切に思うパパを好きになるから。
奥さんが母になろうというときに、男のほうは同時に父になる必要はないけれど、夫であるという認識は絶対的に必要なんですね。
東出さんが本物の男であるならば、誰かひとりでも幸せにすることだと思います。
杏さんも子どもたちも唐田さんも、誰も幸せにできないのなら、勝手だけれどすべてと縁を切って、ひとりで生きることだと思います。
誰ともいっしょに歩けない人って居ます。
それはそれで責めるようなことではないので、それを自身が知ってさえいれば、周りの人を不幸にすることもないんです。
自分を知ること、自分の置かれた状況を知っていること、知ろうとする能力があるかないかは、人としてうまく生きていくことにつながるなあと今回考えさせられました。