非常に強く印象に残る事件でした。
どこでどうまちがえて、この結果になったのか。
どの家庭でも起こりうることなのか。
何が最善の方法だったのか。
裁判員と同じように、真剣に悩み、考えた人も多かったのではないでしょうか。
今回の事件で殺害された息子さんは発達障害や統合失調症などをかかえていたとのこと。
発達障害は生まれつきのものであり、その特性は、親からみて比較的扱いやすいものから非常に困難なものまで幅が広く、個人差は大きいと思います。
そして、フォローの仕方によっていい方向にも悪い方向にも傾きますから、肝を据えて真剣に向き合わなければいけない障害だと思われます。
私は過去に、小中学校で支援員をしていたので、そういった親子を多く見てきました。
絶対的にダメな親のダントツは、子どもの気持ちや行動を無視して、自分の考えや要望を押し付ける親でした。
知的にも多少遅れがあるのに、それを無視して、算数ドリルを押し付ける母親に対して、子どもはヒステリーを起こし、自分の指をかみ続けます。
それでも尚、押し付け続けていたので、当然、その子の成長は見られませんでした。
うまく言葉がでなくても、子の意志は伝わるはずなので、それを最優先にしてあげることが大事です。
でもその度が過ぎてしまうとわがままにもつながります。
発達障害の場合、わがままなのか障害のせいなのか、その境目の判断がとても難しく感じるときがあります。
今回の事件の母親はどうだったか。
成績が上がらないということで、彼のゲーム機を壊した。
成績によっては、好きなゲーム機を取り上げた。
そういったことをしてきたようですね。
子どもからすると、非情な親であり、憎しみが生まれることもあり得ること。
でも親からすると、こういった行動をしてしまう気持ちは充分にわかります。
私もゲーム機を壊しはしませんでしたが、取り上げたことはありますし。
でもそこで、そうされるすべての子が親を憎むのか。
発達障害だったから親を憎んだのか。
親を殺したいほど憎む子とは?
子どもに殺されそうになるほど憎まれる親とは?
考えさせられます・・
こういう状況になった中高生の時点で、すでに親子関係は破綻はしています。
本来ならこうなる前になんらかの対策が必要でした。
でもこの時点でも、まだ命を奪うほどではなかった。
ここでも、何かができたはずです。
命を懸けてまでの向き合い方をしていれば、何かが違ったかもしれません。
硝子のようにナイーブな家族だったのかなと思います。
母親はうつ病になり、娘さんは自殺をし、殺された子どもは統合失調症。
皆が心の強い人たちではなかったというのも、残念な結果だったのかもしれません。
この事件は、殺された彼が自分の価値観を家の中に見い出だすことができなかったことが原因なのかなと私は考えました。
家族の中で、自分はこれがいちばん優れているという優越感のようなもの。
これがあるから、家族の中で頑張れる。
母も父もそれは必要。
子どもはもっと必要。
「これは〇〇ちゃんが一番だね」という言葉は、魔法のように、大人になってもその子をいい意味で支配してくれる気がします。
家族の誰もがをずっとそれを認めてくれている。この安心感。
これ、ものすごく重要です。
子どももずっとそれを手さぐりで探しているのを感じたことがあります。
我が家の息子は成績がよかったのですが、妹である娘の方はイマイチ。
娘にはそれに対するコンプレックス言動が多く、その度に私は娘の可愛さを強調していました。
でも、可愛いというだけでは、彼女のすきま風はおさまらなかったのは私も知っていました。
そんな時に彼女は英語という活路を見つけました。
私自身が娘に、「声も発音もきれいだ、すごいすごい」と誘導操作をした結果でもあります。
家の中での彼女の存在感を、彼女自身が感じ取ったのが、母にも手に取るようにわかりました。
我が家の兄と妹は、お互いダメな部分や嫌な部分もたくさんあり、険悪な時期もあったけれど、なんとかそれを乗り越えられたのは、これだけは認め合っているというものを身に付けたからかなと私的には考えています。
偶然も必然もあったけど、結果的にはうまく過ごせていますから。
大人も子どもも、自分の価値観をわかってくれる場所が欲しいんだろうなあと、今回の事件であらためて考えさせられました。
そして、失敗してしまうことの恐怖も感じました。
仕事も子育ても、ちょっとしたかけ違いを見逃さないこと、そして見逃して失敗しても、今一度きちんとそれに対処する真剣さが必要なんだなと思いました。
みなさんはどうでしたか・・